松田は、店舗内にいて大震災の恐怖を次のように証言している。
「大正十二年(一九二三)九月一日。朝のうち激しい驟雨に見舞われた東京は、昼前には晴れ上がり、初秋の日差しが照り付けていた。その日は月初めだったので、私は一ヵ月分の食券を買い、地下の食堂で昼食をとろうとしていた。赤飯の定食だった。セルフサービスで膳を運び、テーブルに向ったとたん、地鳴りとともにググッと上下動を伴った激震に見舞われた。電灯も消え、真っ暗になった。
やがて薄明るい常夜灯がついたとき、目に入ったのは、ひとりひとりがことごとく前の人につかまって、数珠つなぎになっている光景であった。水道管が破裂したのか、水が床にあふれ、すのこが浮いている。お客の下足を取っていた時代だから私たちも靴したにカバーをかけていただけである。足もとがおぼつかなく、靴だけでも持ち出そうと、私物箱のところに行ったが、水が三十センチほどあふれていて靴どころではない。
とにかく職場に戻ろうと階段を捜すと、滝のように水が落ちている。余震の中をやっと四階のレコード売り場にたどりついた。散乱した品物や伝票の整理をしようと、カウンターの前に立ったところへ大きな揺れがきた。当時、レコードははしごをかけて棚から取り出したほどだから、見上げるほど上まで積んであった。その上の方のレコードが数枚、スーツと抜けて落ちてきた。これは危ないと身を引いたところへ、ガラガラと数千枚のレコードが落ちてきたのである。いまのLP盤と違って、材質も硬く型も大きい。これが何千枚と一挙にくずれ落ちたのだから、気付くのが一瞬おくれたらその下敷きとなり、命もなかっただろう。
くり返し襲ってくる余震の中で、商品整理を済ませ、シャッターを閉めた午後四時ごろやっと帰宅命令が出た。交通機関は途絶しているので、千駄ヶ谷の下宿まで歩いて帰った。警視庁前を通ると、道路が一面に地割れしていた」(『私の履歴書』経済人十四巻 342、343p)
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吉村昭著「関東大震災」の被災者の証言によると、震度6は「必死になって立ち上がろうとしたが、土地が上下となく、前後となく、左右となく、複雑に揺れて立つことができなかった。丁度、暴風雨に襲われた小舟の甲板に立っているようであった」とあります。
今回の東日本大震災でも東京は震度5強ですが、高層階ビルの最上階では横揺れが1m~3mあり、「とても立ってはおれず、床に座り込むしかなかった」と経験者は語っています。
陳列商品で重量物や壊れやすい貴重品は、身の安全・保護と物の保全の観点から、注意が必要です。