なぜ近江商人の教育システムは優れているのか

京都府生まれ。丁稚を手始めに職業を転々する。パインミシン(蛇の目)の拡販に協力後、入社。戦後、リッカーミシン創業に参加。昭和28年、蛇の目ミシン工業に復帰。36年社長。

「私の履歴書」にはそれまで、近江商人以外の教育システムは書かれていなかった。嶋田は、この教育システムをわかりやすく説明しています。

「伝統として主人は直接経営に携わらず、丁稚からたたき上げた有能な番頭に、各地の店を任せるというしきたりであった。またそのために新しく入ってきた丁稚小僧を、将来の幹部――近江商人の伝統を継ぐ人間にするための人づくりを行なったものだ。給料も最初の二年間は五十銭、次の二年間は一円、さらに次の二年間は一円五十銭というケタはずれの低賃金。むろん最低の人件費に押さえるという考えもあったろうが、極度に質素な生活に耐え抜く意志の強固な人間をつくるという意図も加味されている。
たとえば、夜は習字、ソロバン、閑散期には礼儀作法から謡曲のけいこをさせるなど――要するに将来、りっぱな商人として幹部を育成するという考えがその底には流れていた。
丁稚どんは、みんな一年ぐらい、この京都のご本邸で使われながら日常生活の規範をしつけられる。ついで一~二年、京都の仕入れ店に回されて、職方、西陣の織屋や友禅加工などの下職関係の仕事に使って生産加工機構と商品知識をつける-そのうえで中央店である大阪店に出して、はじめて地方の得意先関係のことにタッチさせる――という仕組みである。
もっともどこへ回されても新参の丁稚は、早朝、まず表通りの清掃と三、四十もある大きなタバコ盆の掃除を道路わきのみぞぶたの上でやり、ついでぞうきんがけ――これはどんな寒中でも水でなくてはいけない――という。実際湯で絞ったそうきんを使ったのでは、ひのきやけやきの板の間はあまり美しいツヤは出ないものだ。のちに越前永平寺の禅僧の修業を見たが、全くあれと同じだ」

へぇー、入社の1~6年は丁稚小僧として低賃金で長時間労働だが、夜は習字、ソロバン、閑散期には礼儀作法から謡曲のけいこまで習得させてもらえるとなると、確かに将来の幹部候補として教育してもらっているといっていいでしょう。この期間が知識と忍耐と教養の人材づくりなのでしょう。
しかし、現在の会社は高校卒以上が就職して来ますから、礼儀作法と自社の技術や知識は会社で教えるものの、パソコンや語学、音楽などの教養部門は各々自己責任で習得しなければなりません。
IOT(モノのインターネット化)やAI(人工知能)、IT(情報技術)など科学の著しい進歩に追いつくのに精いっぱいで、とても教養を高める時間的余裕がないと現役社員はボヤいているように聞きます。でも、やはり教養は自己責任で習得するしかないでしょう。
この近江商人の教育システムの恩恵を受けた優れた経営者が現在の日本中に散らばって、現代人を指導してくれているのはありがたいことです。