どんなときも腐らない

 安居は、同期の仲間と比べて取締役就任がずいぶん遅れたが、この言葉を自分に言い聞かせて誠実に仕事し、その実力が回りに認められて、花を咲かせた。

 昭和10年(1935)、京都府生まれの安居は昭和32年(1957)に京都大学を卒業して、繊維メーカーの帝国人造絹糸(現:帝人)に入社する。工場勤務、大阪本社に次いで海外出向するが、台湾で合弁事業、ビデオ事業・自動車販売など多角化事業の撤退を担当するものであった。
 次は欧州拠点の撤退、4回目の出向で帝人商事へ。彼は転勤、出向の連続で、子会社への出向は通算20年、そのうち10年は海外だったという。最後のお勤めと思ったインドネシアが好きになり、定年までいたいと願っていた。
 同期からの出世競争からも遅れていた50代後半、第2の人生をそろそろ考えているとき、本社に呼び戻される。同期から6年も遅れて57歳の取締役となったのだ。
 社長になったのは5年後の62歳だった。その後、舌ガンで社長を退任し、70歳で会長を退き、これから自由な生活に入ろうとしていた矢先、当時の小泉首相から中小企業金融公庫の総裁を要請される。
 安居は不本意な出向、事業の撤退業務、山あり谷ありのサラリーマン人生のすべてを、自分を偽らず、一生懸命生きてきた。その彼が日本政策金融公庫総裁となったいま、「心構え」の生活信条を次のように述べている。

「思えば、私からやりたいと言って就いた仕事は無い。普通の人間だから、不本意な人事に、会社を辞めようかと迷ったこともある。
 ただいかなる時にも腐らなかった。どちらかと言えば前を向き、少しだけだが未来を夢見て生きてきたように思う。自分なりに納得のいく結果を出せたら、それでよい。少なくとも自分をごまかさずに生きてきたつもりである。本当はこうすべきだと思いながら、目先の利益や上司の意向などを気にかけて自分を偽れば、必ず悔いが残る。他人はごまかせても、自分はごまかせない」(「日本経済新聞」2009.10.1)
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私は文章のこのくだりを読んで、同情と同感で涙を禁じえませんでした。
「私の履歴書」に登場する多くの経営者が、会社の傍流を歩んでも腐らず、与えられた職場単位で懸命に働き、自分の職務を果たしていくという信条に打たれたのです。
 その努力の蓄積が実力となり、周りの多くの人々から高く評価されるようになっていくのです。
「目先の利益や上司の意向などを気にかけて自分を偽れば、必ず悔いが残る。他人はごまかせても、自分はごまかせない」は心ある人にとって珠玉の言葉です。