私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

ただ研究心

戦後初・捕手として世界初の三冠王、出場試合数歴代2位、監督としても出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算犠飛数歴代1位などの記録を持つ。
京都府生まれ。峰山高校から南海ホークス入団。南海でプレーイングマネジャーの監督、ロッテオリオンズ、西武ライオンズの3球団で現役27年間にわたり球界を代表する捕手として活躍。引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルスで監督を務めた。インサイドベースボールの主張し、最盛期を過ぎた選手の再生工場主としても有名。89年に野球殿堂入り。

野村は、契約金ゼロのブルペン捕手として見習いで採用された。1年でクビを言い渡されるが、上司の温情で残留となる。肩が弱かったため、このままではレギュラーになれないと砂を詰めた1升瓶やテニスボール、握力計、鉄アレイなどを使って筋力を鍛え、遠投で肩を強化した。
このような努力が実り、翌年のハワイ遠征後に正捕手になれた。打撃も22歳でホームラン30本の初のホームラン王になることができた。しかし、打率は2割5、6分。何よりも三振が100近くあった。打てなかった原因はカーブだった。意地の悪い観客は「カーブの打てないノ・ム・ラ!」「カーブのお化けが来るぞ!」などと野次を浴びるほどだった。カーブをどう打てばよいのか。壁にぶちあたったときに、テッド・ウィリアムズの著書『バッティングの科学』(ベースボールマガジン社)に出会う。その中で「投手は球種によりモーション時に小さな変化を見せる」という一言があり、これをきっかけに投手のクセを研究するようになった。

目を凝らしてみると、ある、ある。当時の投手は振りかぶった時に、ボールの握りを隠さなかった。ボールの白いところが大きく見えると変化球、小さいと直球とか、振りかぶったときに頭の上で2回反動を取ったら、直球、1回だったら変化球など。フォークボールは指で挟むから、グラブがどうしても広くなる。なくて七癖とはよく言ったもの。ほとんどの投手は何らかの癖を持っていた。

スランプはアスリートにかぎらず、ビジネスパースンらにも訪れます。そのスランプを冷静に見つめ、打破するために日夜研究と努力を重ねるのはみな同じです。しかし、その努力の深さ、熱心さで人生の分岐点となります。
彼はこの投手のクセを盗み、球を投げた瞬間に球種・コースを見破る技術を身につけ、カーブを事前に見破ることで克服した。それ以来、打撃力が格段に向上したが、どうしても稲尾だけは攻略できず、彼は16ミリカメラで稲尾を撮影し研究した。そして、稲尾への精神的な揺さぶり攻撃もかけた。それが他球団選手も恐れた「魔のささやき作戦」(心理かく乱戦法)である。それをライバルの稲尾が次のように「履歴書」で証言している。

好投していて打席に立った。すると『中洲の何とかいう店、別嬪さんが多いらしいのう』。その店、知らないわけではない。1球ごとに話は具体的になり『○○子ちゃんて、ええ子らしいな』。確かに知らぬ仲ではない。そしてダメ押し。『子供できたって、お前か』。『えっ、本当ですか』。身に覚えがないわけではないから、こちらも動揺を抑えられない。その後の投球はメロメロ

余談になるが、この「ささやき作戦」を野村が巨人の長嶋に応用してみた反応は、

日本シリーズやオールスターで対戦した巨人の王は、人がいいから話しかけると答えが返ってくる。だが、まったく会話にならなかったのが長嶋だ。『チョーさん、最近銀座に出てるの』と尋ねても、『このピッチャどお?』と違うことを聞いてくる。一球投げると『いい球なげるねぇ』。ささやきが全く通じない。つくづく人間離れしている、と感じたものだ。

アハハハ。緊迫した試合の中でお互いがこんなプライバシーの侵害に当たる会話(駆け引き)をしていたとは……。主審アンパイアはどんな気持ちでこのやりとりを聞いていたのだろうか。想像するだけでも楽しい。


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