清岡卓行 きよおか たかゆき

文芸

掲載時肩書詩人・作家
掲載期間1999/02/01〜1999/02/28
出身地中国大連
生年月日1922/06/29
掲載回数27 回
執筆時年齢77 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他旅順高、一高
入社学校教師
配偶者大連技術者娘
主な仕事大連日僑教師、ランボーの詩、日本野球連盟、プロ野球改革、詩集、芥川賞
恩師・恩人渡辺一夫教授、鈴木龍二
人脈三重野康、江川卓、林義郎、吉行淳之介、村松剛、遠藤周作、岡鹿之助、金子光晴、中村光夫、大岡昇平
備考再婚:詩人23歳
論評

1922年(大正11年)6月29日 – 2006年(平成18年)6月3日)は大連生まれ。詩人、小説家、東京大学文学部仏文科で渡辺一夫教授に師事した。 また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、 さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。37歳で刊行された遅すぎる処女詩集『氷った焔』は、シュルレアリスムからの影響が顕著なイマージュの驚きに満ちた日本戦後詩のひとつの金字塔であり、特に冒頭の詩『石膏』のなかの一行「きみに肉体があるとはふしぎだ」はよく知られている。『氷った焔』は第一詩集にして清岡の詩業全体の扇の要であり、宮川淳が指摘したように、鏡のなかから日常へと歩み出す蝶番となっている。同時期に詩と映画を論じた最初の評論集『廃虚で拾った鏡』が刊行。ここに収録されたシャルル・スパーク論およびに愛の詩の形而上学を論じた詩論は、初期の評論の代表作である。妻は作家の岩阪恵子。

1.「東洋のパリ」大連育ち
私は1922年の初夏に大連で生まれて、旧制中学をでる迄そこに育ち、日本の高校・大学を行き来したので合計22年ほど、大連で暮らしたことになる。歴史を見ると、1898年、清国からロシアは大連湾や旅順を含む関東州を租借し、長年の夢であった東洋における不凍港として、大連湾の中に商港を持つ新しい都市ダーリニの建設に向かった。やがて、ダーリニは国際的な自由港が鉄道でハルピンや旅順などに連絡する、交通と貿易の重要な拠点となり、いろいろな産業の基礎もできた。そして「東洋のパリ」を目指した市街は、次々と建てられる洋風の建物、いくつかの円形広場とそこから放射状に出る幅の広い道路、また、たくさんのアカシヤの並木によって、美しく整えられ始めていた。
 ところが、1904年に日露戦争が勃発し日本が勝利を得たため、関東州は清から日本が租借することになり、ダーリニは大連という名前に変わって、建設の主体は資本の豊かな満鉄となった。初代総裁は後藤新平である。

2.東西の詩作意識の違い
私は20歳(1942)。専門に選んだフランス語よりも詩作の方に魅力を感じていた。そのころ、あるフランス人の評論家が詩作における意識あるいは無意識の充実のさせかたについて呈示した図式に、私はすっかり感心していた。意識・無意識の内容を大きな円で、そして、意識の中心となる核を同心の小さな円で表すとき、西洋型は小さな円を膨らませて大きな円に合致させようとし、つまり、どこまでも意識的であろうとし、東洋型は逆に、小さな円を縮まらせてゼロに近づけようとする。つまり、どこまでも無意識的であろうとする、と述べていたのである。
 詩作のために、こんな意識・無意識の形こそ欲しい。これも到達不可能な目標かも知れないが、最も深い意味における矛盾にどうやら詩の本質を感じる自分のような人間には、誠にふさわしい詩作の構えとして、夢見るに足りるものと言わねばなるまい。こんなふうに、20歳の私は思った。

3.猛打賞の創案
1951年9月にやっと東大を卒業した。29歳になっていた。そして日本野球連盟に就職した。仕事は、球場内広告放送、ホームラン賞などの賞金品、球団名や選手のサインを用いた文具、その他の管理だった。
 この年のシーズンが始まったばかりのころの4月12日、後楽園での巨人-南海戦の九回裏一死満塁に、巨人の川上哲治選手が逆転満塁サヨナラ本塁打を放ち、大変な話題になった。これは賞金品に関係づけていうと、ある製薬会社から満塁ホームラン賞一万円、ある証券会社からホームラン賞5百円が贈られるものであった。一振りで、私たちの初任給の2倍に近かった。連盟はその評判に刺激され、既に4つあった賞金品の数を少し増やすことにした。この時に私の創案した「猛打賞」が採用されたのだった。

清岡 卓行
(きよおか たかゆき)
誕生 1922年6月29日
大連
死没 2006年6月3日(83歳没)
最終学歴 東京大学文学部仏文科
ジャンル 小説詩人
代表作 『アカシヤの大連』(1969年)
『マロニエの花が言った』 (1999年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1969年)
現代詩人賞(1985年)
紫綬褒章(1991年)
日本芸術院賞(1995年)
勲三等瑞宝章(1998年)
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清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年大正11年)6月29日 - 2006年平成18年)6月3日)は、日本詩人小説家評論家法政大学名誉教授

関東州大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。 また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、 さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。

妻は作家岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。創作活動も行っている。

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