江頭邦雄 えがしら くにお

食品

掲載時肩書味の素会長
掲載期間2006/11/01〜2006/11/30
出身地長崎県
生年月日1937/10/01
掲載回数29 回
執筆時年齢69 歳
最終学歴
一橋大学
学歴その他
入社味の素
配偶者一目ぼれ(卒後6か月で結婚)
主な仕事福岡、本社、組合長、東京支店長、総会 屋事件、インドネシア事件、Jオイルミルズ(味、豊年、吉原)
恩師・恩人板垣興一 セミ先生
人脈朝比奈宗源老師、中内功、伊藤雅俊、丹羽宇一郎、新関八州太郎、鈴木三郎助、嶋雄二、佐々木晨二、与謝野馨、武宮正樹9段
備考佐藤一斉・言志禄「随所に主となる」
論評

1937年10月1日 – 2008年4月7日)は、日本の実業家。味の素代表取締役社長・会長、経団連副会長、日本冷凍食品協会会長等を務めた。味の素冷凍食品の分社化、油事業の分社化及びホーネンコーポレーションとの経営統合によるJ-オイルミルズ設立などを行う一方、ネスレやユニリーバなどと伍していくため世界中で積極的にM&Aを進めた。2003年欧州味の素食品設立 。

1.肥満と不満
1962年(昭和37)4月、味の素に入社。いきなり福岡支店勤務を命じられた。福岡市内の2LDKの借家で結婚したばかりの新婚生活がスタートした。しかし半年後に熊本駐在を命ぜられた。事務所は自宅の1室。たった一人の陣容だから電話番は妻に頼むしかない。私は、朝7時半に取引先の問屋に行き、朝礼に付合った後、担当者と一緒にスーパーや蒲鉾メーカー、ラーメン店を回る毎日。県内をくまなく回り終えるのに2年の歳月を費やした。
 夜の宴席は、芸妓の歌う黒田節に合わせて、額に張った味付け海苔を肴に酒を飲み干すだけの単純な芸で拍手喝さいをもらっていた。「酒は飲め飲め」の歌声に合わせて大杯を傾ける。毎晩こんなことを繰り返していたので、体重は熊本に赴任した時の65kgから、5年後に本社に戻る時には80数kgに増えた。
 若気の至りといえば夫婦の危機にも触れないわけにはいかない。全県を回る仕事だから家を空けることが多い。もともと仕事もするが遊びもするタイプのうえ、酒が絡めばつい問題も起こす。ポケットに紛れ込んでいたレースのハンカチ。あらぬところに付いていた口紅の跡。動かぬ証拠を発見して日頃の不満が爆発。妻が子供を連れて実家に帰ってしまったことが2回ある。

2.食品と宗教問題で教訓
2001年1月4日、海外担当の北村卓三専務から自宅に電話が掛かってきた。「インドネシア政府から『味の素』の回収命令が出ました」と。翌日には詳しい情報が集まっていた。インドネシアでは現地法人のインドネシア味の素社が「味の素」を製造しているが、製造過程で豚由来の酵素を使ってつくられた原料が使用されていた。これが豚を口にすることを禁じたイスラム教の戒律に触れると判断されたのだ。
 この原料はグルタミン酸ナトリウムを製造する際に使う発酵菌の保存にかかわるもので、最終商品に豚肉の成分は全く含まれていない。科学的にもそれは確認できる。技術者はそう説明した。この事件は、濡れ衣に近い話であることは分かった。しかしそれはあくまでこちら側の理屈。宗教上の問題となれば、それを振りかざしたところで通用するとは思えない。余計な釈明はせずに命令通り回収しようが、私の判断だった。
 1月9日に高村正彦法相がインドネシアを訪問。ワヒド大統領と会談した際、法相はこの問題を取り上げてくれた。会談後、大統領が「味の素はイスラム教徒が口にできる。私も食べている」と語ったことで局面は少しずつ良い方向に向かい始めた。すべてが片付いたのは1か月後。その間、朝のテレビ会議に始まって私はほぼ終日この問題の処理に追われた。味の素は1917年からの海外進出で、経験と知識は日本企業でもトップクラスだが、それでもこうした落とし穴に陥る。それがこの事件の教訓だった。

3.油脂再編に取り組む
日本の食品産業は売り上げ規模こそ30兆円と、とてつもなく大きいが、中小・零細企業が多く、国際的な競争力は余りにも弱い。業界再編を進める必要性を私は以前から強く感じていた。味の素がかかわる事業でいえば何と言っても油脂だった。私は常務、専務時代に油脂事業を担当し、海外メジャーの強大さを肌で感じていた。
 当時、国内出荷量の1位が日清製油、2位ホーネンコーポレーション、3位味の素、4位昭和産業、5位吉原製油だった。再編の必要性を誰もが認めていたが具体的な動きは起きなかった。社長になっていた私は、きっかけをつくろうと思い2001年4月に味の素の油脂部門を分社した。統合を呼びかけるサインだった。真っ先にホーネン会長の嶋雄二さんが反応したのは私の予想通りだった。7月9日、嶋さんと会い、わずか10分間で経営統合を決めた。阿吽の呼吸というやつだ。
 その後、吉原製油も参加して2,3,5連合が成立。03年4月にJ-オイルミルズが発足した。前後して日清製油はリノール油脂、ニッコー製油と合併して日清オイリオグループが誕生。二強体制が実現した。効果は顕著だった。合理化によって生産性が向上。儲からなかった事業が儲かるようになった。次の課題は国際提携だ。Jオイルの嶋会長や味の素製油の佐々木晨二社長がきっとやってくれるだろう。

江頭 邦雄(えがしら くにお、1937年10月1日 - 2008年4月7日)は、日本の実業家味の素代表取締役社長・会長、経団連副会長、日本冷凍食品協会会長等を務めた。

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