宮田亮平 みやたりょうへい

芸術

掲載時肩書前文化庁長官
掲載期間2022/02/01〜2022/02/28
出身地新潟県佐渡
生年月日1945/06/08
掲載回数27 回
執筆時年齢76 歳
最終学歴
東京藝術大学
学歴その他
入社芸大助手
配偶者栄久庵事務所娘
主な仕事独留学、シュプリンゲン、51歳教授、学長、社会連携、クローン文化財、宮田奨学金、文化庁、日本遺産保護&発信
恩師・恩人平山郁夫、山下恒雄教授(仲人)
人脈榮久庵憲司、小林研一郎、山田洋次、蜷川幸雄、K・ジュンコ、夢枕獏、秋元康、林真理子、大林宣彦
備考イルカのモチーフで「シュプリンゲン(飛翔)」
論評

文化庁長官で「私の履歴書」に登場した人は、今日出海氏に次いで二人目である。氏の祖父・宮田藍堂は金工作家で東京美術学校の出身、その後宮田氏の兄2人と姉、息子、娘の4代にわたって9人が芸大に学んだ芸術一家でした。東京芸大学長、文化庁長官などを歴任しユニークな発想で芸術、文化を地域や社会に発展させた人柄と力量はすばらしく読み応えのある内容でした。

1.芸大受験
出発の朝、父が酒を口に含んで私の足元にプッと吹きかけ、見送ってくれた。「わらんじ酒」といって、旅人のワラジを湿らせ、無事を祈る清めの儀式だ。雪の降る中、1時間ほどバスに揺られて佐渡港へ。岸壁から渡された戸板をトントンと降りて、連絡船に乗り込んだ。

2.芸大合格で父から一句
2年目の浪人生活を送り、1966年、3度目の芸大入試を受けた。およそ30倍の難関を突破で合格した。最初の夏休みに佐渡に帰郷したときのことだ。芸大に受かるまで帰らないと決めていたから、親とは2年半ぶりの再会。たらい舟で夜釣りを楽しみ、大きなスズキを釣り上げて帰ると、父が魚拓をとって、軸に書いた「生と死とみきわめながら魚拓すり 流転する身のわびしさを知る」。生と死、つまり人生の意味を常に思索し、その機微を知る人間になってくれよ・・・。ようやく独り立ちを始めた末息子への願いだったのだろう。

3.芸大教授としての授業
1997年、51歳で東京芸大の教授に昇任した。芸大のように創作者を育てる場では、学生の個性や感性を引き出し、心の内を表現する方法を自分自身で見つけることが大事だ。教員がしたり顔で技術を語ったって、学生は聞くふりをするだけ。だから私はよく一緒に制作をした。作品を作っていると予期しないことが起きるし、失敗もする。ああでもない、こうでもないと試行錯誤する私の姿を学生はじっと見つめる。10の自慢話よりも1つの失敗談。後に彼らが同じ場面に直面したとき、それがいい教科書になるからだ。

4.地域や社会との連携促進(学長の役目)
2006年、芸大の奏楽堂で「LEXUS Concert in 東京芸大」と題する演奏会が開かれた。演奏は芸大OB、教員、学生で編成する特別オーケストラ。指揮は小林研一郎教授に依頼した。えッ?芸大がトヨタなど企業とコラボ?と驚かれるかもしれない。こんな演奏会を毎年開催し、音楽学部が毎週のように木曜日に開催する「モーニング・コンサート」は既に半世紀以上の歴史ができた。一般のお客様に支持される企画は大学にとってとても大事だ。2007年に「社会連携センター」という組織を学内に立ち上げたのは、こうした取り組みをもっと後押ししたかったからだ。産官学が連携し、文化を通じた社会課題の解決を目指すものだ。
 そこで学長の私は「宣伝マン」に徹することにした。デザイン科は「企業デザイン展」を発案。花王、資生堂、サントリーなど、自社のブランドイメージ戦略をデザインにどう生かしているかを紹介してもらう内容だ。美術学部と音楽学部の共同も進めた。芸大全体を盛り上げる、若い芸術家の卵を応援する仕組みを作る。学長の役目とは、そんな雰囲気を作ることだった。

5.日本文化遺産の保護と発信(文化庁長官時代)
2016年4月、第22代文化庁長官に就任した。15年には「日本遺産」制度がスタートしていた。地域が持つ有形文化財、歴史や風俗といった無形の文化財を一つのストーリーの元に纏めてもらい、日本遺産として認定する。物語があれば、国内外からの観光客にもその土地の魅力が伝わりやすい。文化庁は施策を分かりやすくPRする工夫が足りなかった。そう考えて、日本で活躍する米国人女優のナタリー・エモンズさんらと現地を訪問する映像などを撮影し、どんどん公開した。現在ではこの日本遺産が100件を超える。
 18年には宮内庁、読売新聞社とともに「日本美を守り伝える『紡ぐプロジェクト』―皇室の至宝・国宝プロジェクト」を立ち上げた。展覧会の開催やポータルサイトの開設などを通じて、皇室ゆかりの美術工芸品や国宝・重要文化財を国内外に発信し、民間からの協賛も得ながら修理・保存のための資金調達にも取り組んでいる。そして任期中に道筋をつけたことの一つが宮内庁「三の丸尚蔵館」の改築である。ここには、皇族方の遺留品など約9800点を収蔵する。ところが建物は老朽化が進み、収蔵スペースや展示空間も手狭だった。隣接地に新施設を立てることが決まり、工事が始まった。23年秋から部分的に開館する予定だ。広さはおよそ8倍になる。来館者にとても人気の高い、伊藤若冲の「動植綵絵」全30幅が掛けられる大展示室もつくられることになっている。

宮田亮平(2016年)

宮田 亮平(みやた りょうへい、1945年6月8日 - )は、日本金属工芸家。第22代文化庁長官、第9代東京藝術大学学長。同名誉教授。パチンコパチスロ社会貢献機構代表理事パソナグループ社外取締役公益社団法人日展理事長。文化功労者日本芸術院会員。

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