中嶋 悟 なかじま さとる

スポーツ

掲載時肩書元F1レーサー
掲載期間2021/11/01〜2021/11/30
出身地愛知県
生年月日1953/02/23
掲載回数29 回
執筆時年齢68 歳
最終学歴
高等学校
学歴その他
入社兄経営ガソリンスタンド
配偶者記載なし
主な仕事75年総合優勝、77年プロ、78英国F3、83中嶋企画、86F1/ルマン24、87モナコGP ,91引退、チーム結成、スクール開校
恩師・恩人田中梅夫、田中誠一教授、本田宗一郎
人脈松浦賢、山梨信輔、田中弘、星野一義、生沢徹、川本信彦、A・セナ選手、鈴木亜久里、中村恒也、山本昭明、浅井光昭
備考援助会社(ホンダ、セイコーエプソン、PIAA)、息子2人もレーサー
論評

アスリートしては、相撲、野球、陸上、ゴルフ、水泳、サッカー、スキー、柔道などがあるが、カーレーサーは初めてである。氏はこの「履歴書」の冒頭で、「人間は働いて、お給料をもらって生計を立て、仕事が辛い時は余暇を充実させて人生のバランスをとる。僕の場合、仕事も余暇もすべて一緒くた。車で競うという一番好きで得意なものにドライバー、監督としてずっと関わってきた。人生で一番面白く楽しいと感じた車の操作を、なるべく誰にも迷惑をかけないように深く掘り下げた自負はある。このモータースポーツの素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらいたいと願い続けてきた」と書いている。私には未知の世界だった。

1.レーサープロに転向
1973年1月にA級ライセンスを取得、翌月にはアマチュアレーサーの登竜門、鈴鹿シルバーカップの初出場で3位になると、5月の第4戦で初優勝した。20歳であった。この活躍を見て、エンジンのチューニングに詳しい松浦賢さんが、プライベータの雄だったノバの山梨信輔社長、ヒーローズの田中弘オーナーを口説き落として、僕をプロにしてくれた。契約金はなく、給料も知れていたが、正直どうでもよかった。車のメンテナンス、運搬にかかる費用に旅費だの、活動資金を集める悩みから解放されたのだから。レースで車を壊しても直すメカニックがいる。スペアの車、タイヤ、部品もある。運転だけに専念できるのは極楽だった。

2.死と隣り合わせのレース
日本のF2選手権で初勝利を挙げた1978年、僕は人生を変える出来事を英国で味わった。夏7月15日に英国のF3レースに挑戦した初レース。ブランズ・ハッチのサーキットでスタート直後に発生した多重衝突に巻き込まれ、僕の車も派手に宙を舞った。頭部を守るロールバーは道路に叩きつけられてひしゃげた。とっさに首をすくめたが、ゴゴーーとヘルメットが路面をこする音がする。バイザー越しに流れていく路面が見える。車はやがて止まり、無傷で済んだのが奇跡に思えた。この時、僕はF1に挑む意志を固めた。

3.レーサーの肉体強化
コーナリングや減速の際にF1レーサーにかかる横G(重力)は、体重200キロを超すお相撲さんが横からのしかかり、高学年の小学生が首からぶら下がるようなものだと言われる。実際の路面は鏡のように滑らかではない。必ず凸凹があるからGのかかりは不規則で、そんな計算値よりもっと過酷だ。
 人間、体の前後は腹筋、背筋運動で鍛えられるが、横っ腹は鍛えられない。だからボクサーは横腹を狙うわけである。強烈な横Gに耐えるために、30歳を過ぎてフィジカルトレーニングを東海大体育学部の田中誠一教授から受けることにした。必要とされる筋肉、柔軟性、スタミナを時間をかけて地道に向上させていくしかなかった。特に心がけたのは、心肺機能の強化。1周のタイムを競う瞬発系の予選と、2時間近く走る持久系の決勝は求められる要素は違うが、酸素摂取能力が鍵なのは同じだった。

4.レース技術を市販車の実用に役立てば・・
世の中にはレース=無駄遣いというイメージがあるのを昔から残念に思っている。例えば、給油はライバルに一番簡単に抜かれる無駄な時間だから、燃費の良さは勝敗を分ける生命線。それで燃料噴射を電子制御するなど開発を重ねたF1は、エンジンの馬力を考えたらすごく高燃費になった。その技術は市販車にフィードバックされ、燃費向上につながった。
 レースの過酷な条件は、パワートレイン、シャシー、タイヤ、素材、燃料、あらゆる面で脱炭素社会に役立つものになればいいと願っている。モノコックの素材がアルミからカーボンになって車は丈夫になったけれど、市販車の安全性の向上にも見えない形で役立ってきたと思う。いろいろ競うことで開ける未来がある。どういう形であれ、その一端をレース界も担えたらと思う。

中嶋 悟
Satoru Nakajima
中嶋 悟 (2008年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県岡崎市
生年月日 (1953-02-23) 1953年2月23日(71歳)
F1での経歴
活動時期 1987-1991
所属チーム '87-'89 ロータス
'90-'91 ティレル
出走回数 80 (74スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 16
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
初戦 1987年ブラジルGP
最終戦 1991年オーストラリアGP
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中嶋 悟(なかじま さとる、1953年2月23日 - )は、愛知県岡崎市出身の元レーシングドライバーで、有限会社中嶋企画代表取締役社長。身長165cm、体重60kg。血液型B型。

日本人初のF1フルタイムドライバーで、株式会社日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長も歴任した[1][2]

  1. ^ 会社概要”. 2021年11月2日閲覧。
  2. ^ 近藤真彦JRP新会長、「先輩たちの力を借りて、みんなでスーパーフォーミュラを盛り上げていく」 - Car Watch・2023年3月5日
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