特許重視

山地はキャノンにおいて「ヤマジ式ズーム」レンズなど次々とヒット商品を開発し、理系社長となるが、退任後、世界企業のテトラパックより招聘されて日本企業の責任者になった人物である。
昭和2年(1927)愛知県生まれの彼は、同26年(1951)東大を卒業する。養父の鉄道土木請負業を引き継ぐつもりが、養父の急死と事業閉鎖で、自認する物理屋を大事にしてくれる会社を就職先に選ぶ。それがキャノンでした。ズームレンズの設計を任され、後に有名になる世界に類例のない「ヤマジ式ズーム」を開発する。そして、シネカメラの「ズームエイト」、「キャノネット」、「オートフォーカスカメラ」、ゼロックス社以外で初めて国産複写機、インジェクション・プリンターなど次々と数多くのヒット商品の新規開発に関与した。
彼が所属する製品研究課は、開発部、研究開発部、中央研究所と大きくなり、成果をあげて役員への階段を上っていったが、常に特許重視の姿勢を貫いた。研究員に「論文を読むより特許を読め」「報告を書くなら特許を書け」と奨励した。理由は、個人としては登録番号、名前、内容が永久に残るし本人の記念碑になり、そのうえ、企業としては強い技術を持っていると他社からクロスライセンスの提案も出てくるメリットがあるからだった。
 彼は特許数を増やすための奨励策の実施、そして特許の出願は難しくないコツを丁寧に話して出願を増やしていった。そして、彼はその出願のコツと成果を次のように語っている。

「出願のやり方にも戦略性が要る。単発では駄目で、同じ目的を達成する違う手段についても出しておく。さらに材料、素子、応用面まで系統的に出して下さいとも言った。
 この私の方針に呼応してくれたのは特許部の丸島儀一さんだった。開発が出したアイデアを見事な出願に仕上げて、日本でも外国でもどんどん通してくれた。特許の交渉ごとも丸島さんに任せておけば大丈夫と私たちは安心して開発に専念できた。
 その結果、九二年にキヤノンは米国特許の登録件数でトップになった。その時IBMは六位だったが、九三年から九六年までトップだ。キヤノンは九三年三位、九四年からずっと二位である。しかし従業員一人当たりでは断然多い。特許料収入はここ十年平均で年間約百億円となり支出の約十倍になっている。
 だから「特許ですみ分けをしたり、相手とパートナーシップを結ぶ」という方針がとれた。」(「私の履歴書」経済人33巻 53p)

 特許権は、著作権や商標権などと同様の知的財産権の一つですが、企業において経済的価値は非常に高いものです。知的財産は「参入障壁を築くこと」「競合他社と差異化を図ること」「自らの事業を自由に進めること」を目的に取得するものですが、最近では企業収益に多大に貢献している企業も出てきている。そのため、この知的財産を多く持つ企業は高い企業評価を受けるようになりました。キャノンの2009年米国特許登録件数は2,200件であり、特許権収入は30,344百万円であると自社のホームページで紹介しています。日本は2009年の米国特許登録件数では上位10以内に5社(キャノン、パナソニック、東芝、ソニー、セイコ‐エプソン)が入っており、米国に次いで世界第二位の出願国になっています。グローバル化が進み、先進国との競争激化、途上国の追い上げも急な現在、自社の優位性を保つためにも特許の重要性はますます高まっています。