朝風呂

瀬川は明治39年(1906)奈良県生まれで、昭和4年(1929)大阪高商(現:大阪市立大学)を卒業し、野村證券に入社する。同34年(1959)社長になり、営業基盤を広げ内部留保を厚くして情報化に備えるため、40年(1965)に野村総合研究所を設立した。
瀬川は体格堂々として顔も日に焼け、健康そのものに見えた。少年時代、毎日奈良の山奥の山野を飛びまわって遊んでいたので、これが足腰を鍛錬することになった。小学校4年のときの相撲大会で早くも6年生全員をやっつけ、全校の横綱になった。県の相撲大会にも選抜されるほどの偉丈夫だった。
長じて野村證券に入り、若いときは体力に自信があったため、営業活動で昼から夜まで東奔西走して働いた。夜は宴席が3つも4つもあっても平気で楽しく飲み、翌朝まで持ち越す深酒になることもしばしばだった。
そんなあるとき、瀬川が日活の堀久作社長を訪れた際、酒くさい息を感づかれたのか、堀社長がじっと彼をみつめ、朝風呂に入ることを勧めてくれた。「瀬川君、私は朝風呂にはいることにしている。ぬるい湯に毎朝はいって、深呼吸を二十回ほどする。そうすると酒くさい息がきれいになって、もちこされた酒が体内から全部抜けてしまう。そして新しい気持ちで仕事につくことができる。朝風呂がいちばん健康的だから君もそうしたらどうか」という、大変親切なご注意をいただいたので、私は早速それを実行して、爾来二十年余りずっと朝風呂の習慣を続けている」。
このとき瀬川は、経済界の大先輩に対して大変な失態を演じたにもかかわらず、親切に助言をいただいたことで自分を大いに恥じた。

また、後輩である野村證券・北裏喜一郎社長の助言をも関連づけて次のように生かしている。「健康の秘訣はからだのアナの部分を大事にすることだ。病気はすべてのアナからはいる。口を大事にし、鼻を大事にし、そのほかからだの中のアナというアナを大事にすること、これが最良の健康法であると教えられた。そこで、はなはだ尾籠なお話で恐縮だが、私はすこし痔の気があって毎朝快便をしたあとで、時に便が下着に残ったりすることがある。そこで快便のあと必ず風呂に飛び込んでアナというアナを全部洗ってよごれのないきれいなからだになって、そう快な気持ちで仕事のスタートをきる、ということを考え出した」(『私の履歴書』経済人十三巻 220、221p)
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私もこの記事を読み、現役時代に前夜に飲みすぎたときはぬるめの朝風呂につかることにし、同僚や部下にも勧めていました。
若いときは元気にまかせて、はしご酒で翌朝アルコールが抜けていないときもあります。ビジネスで人と会う場合は、特に注意しましょう。

この項では、「私の履歴書」に登場した執筆者たちの、さまざまな健康法を紹介しました。
これらの健康法に共通することは、「自分が決めたことは必ず長期にわたって実行していること」「1日の生活のリズムの中に、必ず自分に合った健康プログラムを取り入れていること」の2点でした。
そのことにより、一見ハードな健康法や運動量も、各自の体に合ったものになっているのです。
「私の履歴書」で語られている、執筆者個々人に合った健康法を参考に、読者の方も自分に合った健康法を見つけていただければ、と思います。