天風思想と同根の「宇宙の根源」

現在天風先生を敬愛した人物としていつも名前が挙がるのが、松下幸之助氏と稲盛和夫氏です。しかし、このお二人とも「私の履歴書」の中には、天風先生の名前は出てきません。
けれども、宇野千代著「天風先生座談」の帯書きに推薦者として「‐人間として大切なもの‐ 誰しも倖せを求めながら、それを得られないのが人間の現実の姿。これはいったいどういうことであろうか。天風先生は波瀾万丈のその体験を通じて、生きるか死ぬかというギリギリのところで、その一つの答えを身をもって悟られた」と敬愛を込めて書かれています。
では、先生と松下氏の接点はどこであろうか?私(吉田)が興味を持ったのはこの一点でした。60年間の「私の履歴書」登場人物810人のうち、松下氏は社長62歳の時と相談役82歳の時の2回に亘って登場した唯一の人でした。

松下幸之助(松下電器産業社長:1894〈M27年〉 – 1989〈H元年〉)
掲載:社長時62歳(1956.8.19~8.26) 相談役時82歳(1976.1.1~1.31)
日本の実業家、発明家、著述家。パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた名経営者。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ人物です。

天風先生との関係:天風先生は1876年(明治9)生まれ、松下氏は1894年(明治27)生まれですから18歳の年齢差があります。「天風先生座談」の初版は、1970年(昭和45)ですから、天風先生が亡くなった1968年の2年後に当たります。松下氏は晩年の先生にお会いして心酔されたのだのだろうか?いや違う、きっとずっと以前に天風先生にお会いして、大きな影響を受けたものと思われたのです。
それでは、いつだろうか?天風哲学のどこに強く共鳴されたのだろうか?との関心が私には高まりました。天風先生著の「君に成功を贈る」の中に、松下氏が天風先生の講演を聴いたのは、先生が辻説法を始めた2年後の1919年(大正10)で当時27歳、「10人ばかりの徒弟工を使って電灯の線を結びつける仕事をしていた」時でした。しかし、先生の話を一生懸命に聴き、その講演の「受け取り方も他人よりはるかに内容量が多かったに違いない」と書かれています。この言及は天風先生から松下氏へのもので、松下氏から先生から影響を受けた言及は見つけることができませんでした。
しかし、いろいろ松下氏の言動を調べていると偶然にこれに該当する発見がありました。松下氏は昭和の初期に有名な水道哲学(水道の水のように低価格で良質なものを大量供給することにより、物価を低廉にし、消費者の手に容易に行き渡るようにしようという思想)など経営哲学を打ち出していますが。天風哲学との類似点は、この水道哲学を進化させた松下電器本社(現・パナソニック)ら3か所に建設したの創業の森「根源の社」の由緒書きから読み取ることができるのです。それには次の言葉が書かれています。

宇宙根源の力は、万物を存在せしめ、それらが、生成発展する源泉となるものです。その力は、自然の理法として、私どもお互いの胎内にも脈々として働き、一木一草のなかにまで、生き生きと満ちあふれています。私どもは、この偉大な根源の力が宇宙に存在し、それが自然の理法を通じて、万物に生成発展の働きをしていることを会得し、これに深い感謝と祈念のまことをささげなくてはいけません。
その会得と感謝のために、ここに根源の社を設立し、素直な祈念のなかから、人間としての正しい自覚を持ち、それぞれのなすべき道を、力強く歩むことを誓いたいと思います。

松下氏は神道、仏教、キリスト教などの各宗教に慣れ親しんだとされます。そして、経済的な面だけでなく精神的な豊かさの追求も重視しており、「物心ともに豊かな真の繁栄を実現していくことによって、人びとの上に真の平和と幸福をもたらそう」という理念のもと、松下電器産業、PHP研究所、松下政経塾を経営しておられたと思えます。
根源の社(こんげんのやしろ)は「宇宙の根源」を祀る宗教施設(社)ですが、松下氏が何を祈っているのかと問われたとき、「感謝と素直」だと謙虚に答えたと言われます。この根源とは、宇宙の根源であり、万物の創造主とも言えるので、松下氏も「最初は天祖大神と言ったけれど大神と言うことはいかん、ということで根源になったそうです。(PHP研究所谷口全平論文「根源の社」建設から)
この思想は松下氏の経営の根幹思想(哲学)として理解されていますが、天風先生の章句集「統一箴言」に書かれている「人の生命は、宇宙の創造を司どる宇宙霊(神仏)と一体である。そして人の心は、その宇宙霊の力を自己の生命の中へ思うがままに受け入れ能う働きを持つ。然もこうした偉大な作用が人間に存在しているのは、人は進化の原則に従い、神とともに創造の法則に順応する大使命を与えられているためである。・・・・」の言葉に強く影響を受けているように思えるのです。天風教義は、これを日々実践することによって、健康と幸福をわがものとし、真人として生きがいのある真人生を建設することです。天風会員たちが日々「感謝と喜び」の気持ちで生活することを指導されていますから、この松下氏の「宇宙の根源」や「感謝と素直」の考えは軌を一にする感じがするのです。

そうするとひるがえって天風先生との関係は、「根源の社」が1961年(昭和36:松下氏は社長時代)に創建されています。「真人生の探究」の初版は1947年(昭和22)です。松下氏は青年時代から天風先生の講話を聴き「受け取り方も他人よりはるかに内容量」を多く受け入れた結果の「根源の社」だったのでしょう。
天風先生は東京を活動拠点にしていましたが、関西地区(大阪、神戸、京都)にも毎年出向かれて講演や修練会を持たれていました。昭和48(1973)の天風会55周年当時には、関西では顧問に砂野仁(川崎重工業会長)、越後正一(伊藤忠社長)、佐藤義詮(大阪府知事)、百崎辰雄(ビオフェルミン相談役)などそうそうたる人が名を連ねていたので、若いときから天風先生に心酔していた松下氏もこれらの人たちと一緒に、天風先生の思い出話をされていたことでしょう。