私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

財務諸表から経営戦略

「大正15年(1926)東京生まれ。小学校卒で家業の建具店を手伝う。昭和24年(1949)日本建具工業(現:住生活グループ)を創設し、社長。同46年(1971)トーヨーサッシへ商号変更、平成4年(1992)トステムへ商号変更。同10年(1998)会長。同13年(2001)INAXトステム・ホールディングスに商号変更し、純粋持株会社に移行。同16年(2004)住生活グループに商号変更。同19年(2009)会長退任。)

*潮田は小学校6年のときに結核を患い、二十歳近くまで約8年間、サナトリウムで過ごしたので、学校は小学校しか出ていない。しかし、読書好きでもあったので療養中にたくさんの本を読み、また、退院してからは専門学校入学者検定(専検)の勉強をした。
また、日本生産性本部(現:社会経済生産性本部)や日本能率協会などのセミナーに積極的に参加し、苦労しながら財務分析や工程管理、マーケティングなど経営の基礎を学んだことがのちの経営に役立った。
 一例では関東圏に絞り込んだ販売戦略であった。それは、少ない経営資源を分散させず、一点に集める必要があり、まず最大の市場で決定的なシエアを確保してから、徐々に販路を広げていくことにした。そこで戦略策定に、不二サッシなど同業大手の有価証券報告書を集め、自ら分析すると販売管理費の負担が重いという傾向に気づいた。原因は、大手企業が事業を始めると、すぐ販売拠点を全国に展開するからだと判る。工場が一ヵ所にしかない段階で、わずかな量のサッシを全国で売れば物流費が非常に高くつくは当たり前だ。弱小の企業が同じ売り方をしていたら絶対に勝てないと思ったという。
彼にとって経理・財務の基礎知識が経営戦略策定に大きく役立ったことは間違いない。しかし、彼のように現場知識も同時に知っていないと適切な判断ができないことはもちろんである。そして次のように解説している。

「工場も千葉県野田市に集中させた。野田市は関東圏の中心に位置し、物流面で優位に立てる。工務店の要望にきめ細かく対応するためにも、生産拠点は消費地に近い方がいい。取り扱う製品も最初からビル用サッシを手掛けず、住宅用に絞った。やはり戦力集中のためだ。
 財務分析によって大手企業は固定資産の回転率が低いこともわかった。そこで形材から一貫生産する工場を野田市の七光台につくり、操業率を上げるために四班交代制にした。これで鉄鋼大手の高炉のように二十四時間連続で操業できるようになった。同じ設備投資額で他社の三倍の製品を生み出す狙いである。財務諸表は戦略や戦術を練るうえでヒントの宝庫だった。」(日本経済新聞 2008.3.17)


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