美女と才女
篠原欣子  
テンプスタッフ創業者
生年月日1934年10月19日
私の履歴書  掲載日2013年1月01日
執筆時年齢78 歳

1934年10月19日 –  神奈川県生まれ。
実業家、学校法人理事長。パーソルテンプスタッフ創業者。パーソルホールディングス取締役会長。篠原学園専門学校理事長。
53年に三菱重工業株式会社に入社、57年同社を退社し、58年に東洋電業に再就職し、結婚するが、1年で離婚。家事手伝いを経て66年にスイス・イギリスに4年間留学する。一時帰国後、71年にオーストラリアの市場調査会社ピーエーエスエー社に社長秘書として入社。73年に同社を退社。
帰国後、オーストラリア就業時に知った人材派遣業からヒントを得て人材派遣会社のテンプスタッフ株式会社(現・パーソルテンプスタッフ株式会社)を資金100万円で設立し、代表取締役に就任。

1.会社設立
オーストラリアのシドニーに臨時社員を派遣していた会社があった。女性ばかり数人で切り盛りしている場面を見ている。ああいう会社をつくってみようか。最初は小さな思いつきだったが、次第にはっきりした目標になった。
しかし、どうしたら会社を設立できるのかわからない。知人に高山弘子さんという税理士を紹介してもらい、自分がやりたい事業を説明して「会社は女性だけでやりたいのです。男性は入れません」と言った。「女性には『ちょっと手伝ってよ』と気軽に言えるが、男性は敷居が高い」という意味を込めて「男性は入れない」と口にした。が、男性税理士ばかりを見ている高山さんには別の響きで聞こえたのかもしれない。彼女は「一肌ぬぎましょう」と答えてくれた。私が38歳、高山さんは39歳の出会いだった。
資本金は母から生前贈与でもらった100万円を充てた。留学したのが34歳の時、そして今は40歳を目前での起業だ。だけど何かを始めるのに遅いことはないと思っていた。六本木にあるアパートの2階を借りて、自宅兼事務所にした。そして玄関のドアに「テンプスタッフ」と書いた看板を掲げ1973年5月24日、小さな会社が目算もなく産声をあげた。
当初「テンプスタッフ」の社名はなじみがなく、日本の会社には理解してもらえない。「てんぷらスタッフ?」 「いえ、テンポラリースタッフです。我が社は事務処理請負サービスの会社です」 「ああ、芸者の置屋みたいなものだね」という具合だった。

2.女の底力
本社を乃木坂に移した1978年ごろの登録スタッフは約500人だった。①一般事務、②貿易、③英文タイプ・通訳・翻訳、④秘書、⑤経理、⑥キーパンチャーなどの職種ごとに、あいうえお順にまとめた手書きの台帳で管理した。
 客先で仕事をするスタッフの働く期間は、毎日の労働時間、時給などはてんでんバラバラだ。各自の働いた記録は半月ごとに郵送されてくる「タイムシート」に記されている。それを一枚一枚見ながら、8時間の法定労働と残業時間に分け、時給と割増賃金を掛けて賃金総額を算出する。そんな計算を4人の社員がそろばんでおこなった。間違いは許されないから何度も検算するが、これもそろばんだ。市場には電卓はあったが高価だった。
 記帳に追われながらも、顧客からの電話が鳴れば彼女たちが応対する。毎晩、終電が当たり前。電車がなくなるとタクシー代を支給した。交通機関がストを構えたりすれば、彼女たちは貸布団屋さんから借りた布団を床に敷いて泊まり込んだ。スタッフへの給与は毎月15日締めと月末締めの2回で、振込日も月2回だった。振込み処理日は、社員4人がスニーカーで出社。銀行は午後3時で窓口を閉めるから、それに間に合うよう振込用紙が出来上がると走って駆込む必要があるからだ。これらをすべてやり遂げたのは「やればできる!」女の底力があったからと思う。

3.女性会社からの脱皮
リクルート社員の水田正道さんをスカウトして、支店長になってもらった。ところが支店長会議で水田さんが、「どうして各支店の売上が支店でわからないのですか?これでは売上目標が立てられません」と発言した。女性支店長は、顧客企業への請求とスタッフへの支払いは本社の担当部署が一括管理しているから、この実態がわからないのでした。攻めの営業を得意とする体温の高い会社で仕事をしてきた人の指摘は鋭かった。女性支店長は厳しい言葉に気おされ沈黙が続いた。
 その後の支店長会議は単純な男性対女性の構図でなく、新と旧の、攻めと守りのせめぎ合いだった。私は会議が流れても仲裁しなかったし、余ほどのことがない限り発言しなかった。今、会社で何かが動き始めている。どちらに転ぶのかわからないけれど、じっと目を凝らしている時だと思った。
 1990年2月22日、「大事な話がある」というので会議室に行くと、水田さん以下5人の男性社員が並んでいる。水田さんが5人連名の「平成2年度の経営方針のための意見書」を読み始めた。
① 経営方針と目標の明確化、②計数管理の確立、③実力主義の評価など、連判状とも言える
文書の末尾には「有言実行をしていただけない場合、それなりの覚悟があることを追記させていただきます」とあった。
 いままで支店長に対しては「任せる、褒める」の方針で、特段の指示も示さず自分で考えさせてきたけれど、社員が100人、売上高も100億円になるとそれではいけないに違いない。組織にもやり方にも限界が来ているようだ。
 私は居並ぶ5人の男性に向かって「わかりました」と答えた。

篠原 欣子(しのはら よしこ、1934年10月19日 - )は、日本の実業家学校法人理事長。パーソルテンプスタッフ創業者。パーソルホールディングス取締役会長。篠原学園専門学校理事長。

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