美女と才女
扇千景  
前参議院議長
生年月日1933年5月10日
私の履歴書  掲載日2008年4月01日
執筆時年齢74 歳

1933年〈昭和8年〉5月10日 –  兵庫県生まれ。
女優(元宝塚歌劇団娘役)、政治家。建設相、参議院議長、靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)。
夫である4代目坂田藤十郎(本名:林宏太郎)との間に、歌舞伎役者の長男・4代目中村鴈治郎(本名:林智太郎)、次男・3代目中村扇雀(本名:林浩太郎)がいる。夫の妹は女優の中村玉緒である。(できちゃった婚)フジテレビの主婦向けワイドショー『3時のあなた』で司会を4年間担当したほか、富士フイルムの8ミリカメラのCMで「わたしにも写せます」のフレーズが人気を集めたことも有名である。これまでに出演した映画は53作品に上る。

歌舞伎役者の妻から政治家になるまでの経緯も面白い。自民党福田派に所属して大平首相との40日間抗争とその死、離党して新生党に参加、その後小沢一郎氏と行動を共にして新進党を結成したものの、そこを離脱して自由党を結成し、小渕内閣と連立して参画する。連立解消直後に小渕総理の脳梗塞入院となるが、政権内に留まってこそ政策が実現できるとして小沢氏と別れ保守党党首となり、森内閣の建設大臣となる。その後は自民党に復党してついには参議院議長にまで登りつめたのですから、政治家の手腕としても周りから評価されたのでしょう。夫が父親に続いて歌舞伎の人間国宝となり、息子二人も歌舞伎役者として立派に成長しているのですから、妻、母親としても凄い人ですよね。2008/05/05

1.宝塚、最年長で合格
宝塚音楽学校は中学3年生から高校3年生まで受験できる。私は高校卒業だから最年長の合格者となった。ほとんどの受験生は小さいときから宝塚に入りたくて歌やバレエの練習を積んできている。何の準備もせず、手ぶらで受験したのは私だけだった。しかし、昭和27年(1952)5月、入学式が終わって一月が経った頃健康診断があった。レントゲンを撮ってみると肺に影があるという。
すぐに大阪大学病院に入院し、週に1回、脇から針を入れて腹腔鏡に空気を送り、肺を圧迫して治療する人工気胸療法を受けることになった。その日は安静にしていなければならないが、あとの6日は自由に使える。昼、夜用の弁当を2つ持ち声楽は宝塚の竹内、小浜の両先生、バレエは出口先生、日舞は楳本先生と個人レッスンに通った。帰りはいつも終電。阪急御影駅に母がいつも迎えに来てくれた。翌28年4月に復学した。休学していた間、がむしゃらに勉強したおかげで同級生に追いつくどころか、少し追い越したのかもしれない。成績の序列が厳しい宝塚で最上位の「優等生」になった。

2.扇雀との結婚
扇雀は「カンコを伊勢志摩観光ホテルに連れて行きたいんだ」と言った。声にはいつもと違う響きがあった。男が女を旅に誘うことの意味は分かっている。「遊びではないな」と思った。ここがダメになって、六甲山ホテルは小林一三先生専用のVIPルームになった。扇雀は「いろいろな女性を見てきた。でも自分から誘ったのはあなたが初めてです」という。私はその言葉を信じた。こうして私たちは昭和31年(1956)の秋に結ばれた。
しかし、結婚には父親が大反対した。「プロポーズもしました。遊びでも、いい加減な気持ちでもないんです」と深く頭を下げる扇雀に、父親は「銀行の用事で花柳界によく顔を出すから、あなたの噂はよく知っている。神戸の花柳界にも女がいるじゃないか」と問い詰める。両者のミゾは続いた。
この後、未婚のまま妊娠4か月が分かり、東京のパパになってくれている川口松太郎先生に相談した。「女優を続けたいと思いますので、結婚はしません。でも子供は欲しい」と。先生は「カンコ。君は気がついていないだろうが、子供にとって父親の存在がどれほど重要か考えなさい。扇雀君はよく知っている。遊びではないだろう。結婚しなさい」と言われた。そして父親を説得してくれた。
結婚式は昭和33年(1958)10月29日、場所は帝国ホテルだった。川口のパパは媒酌人、料理のメニュー決めから当日の司会まで一人で取り仕切ってくださり、私は祝福されて林宏太郎の妻となった。
熱海から乗った新婚旅行の特急つばめの車中で夫の扇雀は語りだした。それはこれまでの女性遍歴だった。女性の名前が延々と続く。人数が多すぎて覚えきれない。正直なんだなぁと思った。

おおぎ千景ちかげ
林 寛子はやし ひろこ
扇千景(2006年8月22日、73歳)
生年月日 (1933-05-10) 1933年5月10日
出生地 日本の旗 日本兵庫県神戸市須磨区
没年月日 (2023-03-09) 2023年3月9日(89歳没)
死没地 日本の旗 日本東京都
所属政党 (自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
自由党→)
保守党→)
保守新党→)
自由民主党
称号 従二位
旭日大綬章(女性初)
桐花大綬章(女性初)
大韓民国修交勲章光化章
台湾一等景星勲章
参議院永年在職議員
配偶者 四代目 坂田 藤十郎
親族 長男4代目中村鴈治郎
次男・3代目中村扇雀
中村壱太郎
孫・中村虎之介

日本の旗 第26代 参議院議長
在任期間 2004年7月30日 - 2007年7月28日
天皇 明仁

日本の旗 初代-第2代 国土交通大臣
内閣 第2次森改造内閣(中央省庁再編後)
第1次小泉内閣
第1次小泉第1次改造内閣
在任期間 2001年1月6日 - 2003年9月22日

内閣 第2次森改造内閣(中央省庁再編前)
在任期間 2000年12月5日 - 2001年1月6日

日本の旗 第69代 建設大臣
第36代 国土庁長官
内閣 第2次森内閣
第2次森改造内閣(中央省庁再編前)
在任期間 2000年7月4日 - 2001年1月6日

選挙区全国区→)
比例区[1]
当選回数 5回
在任期間 1977年7月11日 - 1989年7月23日
1993年9月 - 2007年7月28日

その他の職歴
初代 保守党党首
(2000年3月 - 2001年9月)
第3代 新進党参議院議員会長
党首:小沢一郎
1996年 - 1997年
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扇 千景(おおぎ ちかげ[2][3][4][5][注釈 1]1933年昭和8年〉5月10日[5] - 2023年令和5年〉3月9日[6])は、日本女優タカラジェンヌ(娘役・41期生[7]政治家。本名は林 寛子(はやし ひろこ)[5]。旧姓は木村(きむら)。兵庫県神戸市出身。

参議院議長(第26代)、国土交通大臣初代第2代)、運輸大臣第78代)、北海道開発庁長官第72代)、建設大臣第69代)、国土庁長官第36代)、科学技術政務次官鈴木善幸改造内閣)、参議院文教委員長参議院議員(5期)、保守党党首(初代)、新進党参議院議員会長(第3代)、靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)などを歴任した。

位階従二位称号旭日大綬章桐花大綬章(女性初)、大韓民国修交勲章光化章台湾一等景星勲章、フランス共和国ボージョレーワイン委員会・フランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士

夫である四代目坂田藤十郎との間に、歌舞伎役者の長男・四代目中村鴈治郎、次男・三代目中村扇雀がいる。義妹は女優の中村玉緒

  1. ^ 参議院議員通常選挙全国区制は1983年に比例代表制に改定された。比例代表制は当初、厳正拘束名簿式だったが、2001年に非拘束名簿式に改定されている。
  2. ^ 国土交通大臣”. 2022年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月7日閲覧。
  3. ^ 扇千景 | NHK人物録 | NHKアーカイブス”. 2022年6月7日閲覧。
  4. ^ 扇千景(おおぎ・ちかげ) 【第2次森内閣~改造】…:女性大臣の系譜 写真特集:時事ドットコム”. 2022年6月7日閲覧。
  5. ^ a b c 読売年鑑2013』(読売新聞東京本社,2013年3月27日発行,ISBN 978-4643130010)p.196より
  6. ^ 扇千景さん死去 89歳、食道胃接合部がん 元参院議長 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年3月13日閲覧。
  7. ^ 100年史(人物) 2014, pp. 52–53.


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